こんにちは、回想記事(2011年3月11日の記事に追記)
東日本大震災といえば、2011年3月11日に発生しました。
発生した時の状況
5階で患者さんを病棟まで送り、リハビリ室に戻ろうと廊下を歩いていたときでした。
一瞬、自分がめまいが起きたのかと思いましたが、カーテンが揺れ、いろんなところで「ガジャガジャ」と音が聞こえてきたので、地震だとすぐ気付きました。
尋常でない揺れ方と経験したことのない揺れの長さに、これはマズイと思いました。
今、自分のいる建物は新棟で耐震強度は問題ないですが、リハビリ室の棟は旧棟で耐震強度がありません。
急いで戻らないと、揺れの中走ることができないので壁を掴まりながら急ぎました。
エレベーターが停まった
まず心配したのが、エレベーターに閉じ込められていないかであり、確認したところ幸いにも誰もエレベーターには乗っていない状態でした。
歩けない患者がいた
歩けない患者さんがいないか?
次に心配しました。それは、3人いました車椅子で来ていたので、1人がリハビリ室に残った患者を見て、男性中心に車椅子を4人で階段を使い外へ出ました。
無事、車椅子で来ていた3人の患者を階段で降ろして、スタッフも全員外に出ました。
建物のガラスが割れ倒れそう
リハビリ室のある旧棟は4階建ですが、左右前後に揺れ外から見ても「グラグラ」に激しく揺れているのが分かる状態でした。
窓ガラスは割れて、いつ倒れてもおかしくない状態に感じました。
駐車場のコンクリートが凸凹に
地面もいろんな方向に揺れていたため駐車場のコンクリートが凸凹になり、足元を見て歩かないとつまづく状態になりました。
地震後に起きたこと
停電
しばらくすると、外が暗くなってきて分かりましたが真っ暗になりました。
地域が停電になったからです。信号機まで点灯していない状態です。
病院は非常電源に切り替わり、最低限の明かりを確保できていました。
食糧不足
コンビニを始め、食糧や水分などが全くなくなる状態になりました。
流通も道路や橋の断裂のためストップしたため、すぐ食べれるものから、水など消えました。
ガソリンがなくなる
ガソリンスタンドからガソリンがなくなりました。
ガソリンスタンドに給油するトラックも来なくなり、完全にガソリンが消えました。
病院に泊まる
女性スタッフは最低限が残り、男性スタッフは全員病院に泊まることになりました。
リハビリスタッフは日頃の肉体労働で鍛えた体がありますから、いざと言うときは人力だけが頼りです。
食堂の人が帰る前におにぎりを1人2つ作っていただきました。
美味しかったです。
テレビで東北の被害の状況を知る
状況が落ち着き、テレビを外来の待合室で見た時に「唖然としました」。
何が起きているのか?映画なのか?現実を受け入れることができませんでした。
詳しくは、東日本大震災の記録が国土交通省のホームページにありましたので、リンクを貼ってあります。
人の記憶は忘れるようになっている、しかし、経験した人は後世に伝えていく義務がある。
同じような悲しい思いをする人が少しでもいなくなるように、忘れずに伝えていきましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。